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2000.12.17より

松本城

別名:烏城 ,松本城の前身は深志城です。もともと信濃守護・小笠原氏の配下にあった城ですが、武田晴信によって小笠原氏が居城・林城を追われると、晴信は要害堅固とは言えあまりに不便だった林城ではなく、支城であった深志城を改修して信濃攻略の拠点としました。この時城の改修に当たったのが馬場信春らであり、信春は後に深志城城代になっています。
 その後武田氏は滅亡し、深志城には織田家の城代である木曽氏が入りましたが、信長が本能寺で倒れるや甲信は戦乱の渦中に逆戻りし、その隙にかつて武田氏によって信濃守護の座を追われた小笠原長時の子、貞慶がこの城を奪取し、徳川家の領国に組み入れられました。このとき、深志城は松本城と改名されています。
 やがて、家康が秀吉の命で関東へ移封となると、秀吉は松本城に家康の下から出奔してきた石川数正を配しています。
 松本城は烏城の名が示すところの黒い外壁が特徴的ですが、鉄砲に対する防御に力が入れられている点にも特色があるらしく、その関係からか城内では火縄銃の展示が行なわれていて、火縄銃に関する詳細な資料を見ることも出来ます。刀槍甲冑の展示は各地のお城で比較的よく見受けられますが、鉄砲に関する展示物がこれほど充実している場所は他にないかもしれません。
 なお、松本城の天守は現存天守であり、国宝四城(他に姫路、彦根、犬山)の一つに数えられています。


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